はじめに
皆さんは、「文理融合キャリア」と聞くと、どんな職業を
イメージされますか? 「理系と文系の専門性が混ざった職種」と思われるかもしれません。それも間違いではないです。
例えば、MR(医薬情報担当者)は医薬品に関する情報を医師や薬剤師に提供する技術営業職(文理融合キャリアの典型例)ですが、医薬に関する豊富や知識を有することが求められるため理系出身者の割合が相対的に多い職種です(文系出身者も珍しくありません)。
ところが、日本ではこのような文理融合タイプの専門種は非常に少ないのが現状です。ちなみに、経営者や起業家は、事業を通じて利益を得るというビジネスを統括するわけですから、製品技術と営業の両面に精通していなければならないという点において「文系と理系の融合キャリアの最終形態」と言えます。
本章では、理系と文系の性格傾向や職業適性はあるのか?、なぜ文理融合キャリア構築は難しいのか?、文理融合キャリアとプロフェッショナルキャリア(専門職)とは何が違うのか? について解説します。
キャリアアップのパターン分類
通常、キャリアアップのパターンは次の3つです。
① 今の専門性の周辺領域の拡張または深掘り
・事例1: 理系(フロントエンド + バックエンドの両方が扱えるウェブ系エンジニア)
・事例2: 文系(食品業界の営業実務 + 仕入実務の両方の経験を有する物流在庫管理責任者)
② 「新たな専門性の構築または異業種での経験」と「前職の業界の専門性」と掛け合わせること
・事例1: 理系(電気工学の修士 × バックエンドのエンジニアリング=ITデバイスの開発職)
・事例2: 文系(化成品の営業実務 × 経理実務=卸事業総括責任者)
③ 理系職(技術系)の専門性と文系職(サービス系)の専門性を掛け合わせること
・事例1: 理系(製造機器の研究開発 × 営業実務=技術営業職)
・事例2: 文系(通販のマーケティング実務 × フロントエンドのエンジニアリング=広告連動の顧客分析の担当)
日本では文系でも理系でも①と②のキャリアアップ「いわゆる、プロフェッショナル(特定分野の専門職) 」と言われるタイプが多いです。これまでは企業内では専門職を重視する風潮が強く、労働市場においてもプロフェッショナル志向が根強くあります。
一方、米国では日本とは逆に③のキャリアは相対的に非常に多いのが現実です。実際、IT大手企業のGAFAMやITベンチャーの創業者や現CEOは理系出身者が多いですし(例:アップルのCEO/ティム・クック、アマゾン創業者/ジョフ・ベソス、グーグル創業者/ラリー・ベージ)、文系出身ながら数学思考に優れプログラマーとしてキャリアを積みながら起業した事例も豊富です(例:セールスフォース創業者/マーク・ベニオフ、NetflixのCEO/リード・ヘ事例2:イスティングス)。
このような文理融合キャリア構築の実現性については、「高校・大学での教育システムの違い」や「ベンチャースピリッツに対する国民性の違い」によるところも大きいでしょう。
昨今の日本では、少し様相が変わってきました。DX社会への進展と雇用形態の変化がその背景にあります。年功序列や終身雇用制度の崩壊とともに、副業や独立を念頭においた働き方が社会全体に浸透しつつあります。
実際、IT業界においてフリーランスのエンジニアや起業家が増えつつあるのです。ただし、IT以外の業界では、まだまだ文理融合キャリアを目指す人材は少ないのが現状です。
理系職種と文系職種の質的違いとは?
文系職種の典型例としては営業・経理・法務・労務人事の4つが挙げられます。一方、理系職種の典型例としては研究開発職、製造技術職、品質管理職の3つです。そこで、「文系の典型職種である営業職」と「理系の典型職種である研究開発職」を例にとって、これら2つの職種としての性質上の違いを解説します。具体的な差異は次の3つです。
① 問題解決の対象:
・研究開発職 → 物(製品)
・営業職 → 人(顧客)
② 動機
・研究開発職 → アイデア重視(創作、発見、解釈などのアイデアを具現化する。)
・営業職 → データ重視(記録や経験などの事実をベースに事業を展開する。)
③ 問題解決の手法:
・研究開発職 → 思考(論理的)
・営業職 → 感情(部分的に非論理的)
まず、一つ目の違いは、それぞれの職種が解決すべき問題の対象物です。例えば、冷蔵庫の開発職と営業職の場合、開発職は冷蔵庫という製品の機能性・デザイン・製造コストなどを適切に統合することが仕事ですので、物と終始向き合っていることになります。
一方、営業職は冷蔵庫を消費者に販売することが仕事ですから、顧客とのコミュニケーションに注力することになります。
2つ目の違いは、仕事への動機と行動特性です。概して研究開発職は創作、発見、解釈などのアイデア(抽象的概念)を具現化したいという動機が原動力となり製品開発の意欲が高まります。一方、営業職は商品特徴、ターケット顧客、顧客の属性や過去の購買行動、会社方針など確定した具体的事実をベースに販売戦略(仮説の設定)を立てて実行(仮説の試行と検証)しようとします。
最後に、3つ目の違いはそれぞれの職種が解決する手法です。例えば、上述の冷蔵庫の開発職と営業職の場合、開発職は論理的思考の積み重ねによって機能性・デザイン・製造コストなどを適切に統合しようとします。物理的な物(いわゆる製品)が作業の対象であるため、基本的に論理的な矛盾や曖昧な要素がほとんどありません。
一方、顧客に冷蔵庫を販売することが目的の営業職は人が相手です。顧客の要望や感情に寄り添い、顧客がいかに気持ちよく納得して購入いただけるかを念頭に置きながら商談を進めていくことになります。つまり、人の感情に寄り添うことが重要になるわけですが、往々にしてクライアントの気持ちの変化は論理的ではないこともあるのです。
以上のとおり、理系職と文系職とでは互いに対局するような正反対の能力が求められるのですが、これを両立することは心理学的にも難しいと言われています。それゆえ、ある程度の訓練を必要とします。なぜなら、ほとんどの人は性格的(心理学的)にいずれかを好む傾向にあるのです。
《数学の得意不得意と文理選択の関係性》
数学が得意な学生は理系に進学し、国語が得意な学生(数学は苦手)は文系に進学することが多い理由は、上記③の思考と感情のバランスに起因していることが多いと考えられます。
数学を深く理解するためには論理的思考が優先されます。一方、文学(例えば小説の主旨解釈)の学習においては主人公の感情の動きを推察する能力が優先されます。
よって、思考を優先させるタイプは数学が得意で理系を選択する場合が多く、感情を優先させるタイプは数学が苦手で文系を選択する傾向にあることは、脳科学的に自然な流れなのです。
理系と文系の性格傾向と職業特性との関連性
理系職種を好む人材と文系職種を好む人材とは職業選択特の指向性に差異があることがわかっています。米国の心理学者であるジョン・L・ホランドは性格タイプと職業選択の指向性にある種の相関性があることを示しました。
下記の六角形の図はホランドコードと呼ばれ、2つの指向性指標(①物⇄人、②アイデア⇄データ)で評価される「6種の職業分類(RIASECモデルともいう)」です。uる
出所: ホランドコード/ウキペディア
研究開発職(理系)はホランドコードのI(研究的)、営業職(文系)はE(企業的)に該当します。互いに六角形の対角線上にあり、質的に対局する関係であると言えます。
この6つの分類を仕切っている指標が2つあります。一つが仕事上の問題解決の対象物(物⇄人)です。もう一つが問題解決の動機(アイデア⇄データ)です。Iの研究開発職の志向は「物+アイデア」であるのに対し、Eの営業職の志向は「人+データ」であることがおわかりいただけると思います。
理系と文系の心理学タイプ論とは?
米国の臨床心理学者のカール・G・ユングは、人間の心の習慣のタイプを対立する極を持つ3つの指標によって分類しました(下記)。心の習慣とは、対局する2つの極のいずれかを無意識のうちに使いやすいと感じる傾向のようなものです(引用文献:MBTIへの招待 R.R.ペアマン&S C.アルプリットン著 金子書房 2002年発行)。ただし、常にそうするというわけでもなく、状況によって変化する心の動きです。
① 心のエネルギーの方向
・内向
・外向
② 情報知覚機能
・ 感覚
・ 直感
③ 情報処理機能
・ 思考
・ 感情
まず、1つ目は心的エネルギーの方向性です。これは自分の意識が外の世界に向かう傾向にあるタイプを「外向」、自分の内なる世界に向かう傾向のあるタイプを「内向」と言います。例えば、進化論を提唱した生物学者のダーウィンは外向タイプです。一方、「我思う、故に我あり」と提唱した哲学者のデカルトは内向タイプです。
心理学でいう外向的は社交性があるという意味ではありませんし、内向が自閉的という意味ではありません。これら2つの極において、理系と文系の人材の特性に特段の差異はありません。
2つ目は情報知覚機能です。この機能は、情報をどのように知覚するか、あるいはどのような情報に引きつけられやすいかという傾向です。五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)を通じて認識される知覚情報を重要視するタイプが「感覚指向」になります。感覚指向のタイプは、着実で規則正しく、詳細を極める傾向が強いです。発明家のエジソンが代表例です。
一方、抽象的なイメージやアイデアを関連性から閃きを通じて認知した情報を重視するタイプが「直感」になります。直感指向のタイプは、洞察することや複雑な体系を探し求めるようなタイプです。ちなみに、ユングはこのタイプです。これら2つの極において、理系と文系の人材の特性に特段の差異はありません。
最後に3つ目が情報処理機能です。この機能は、収集した情報から結論を導いたり判断したりする機能です。ものごとについての因果関係の論理的分析に基づいて判断するタイプが「思考」です。一方、ものごとを個人的な価値観や対人関係への影響に基づいて判断するタイプが「感情」です。
この情報処理機能については、理系(研究開発職)と文系(営業職)の人材の特性に有意な差があると考えられます。一般に、理系は思考機能を指向するタイプが多く、文系は感情機能を指向するタイプが多いと言えます。
これは上述の問題解決の対象とも相関があり、物を対象とする仕事には論理的思考タイプが圧倒的に有利であり、人を対象とする仕事には感情に即した対応ができることが必須の能力となるからです。
ちなみに、女性は感情タイプが相対的に多く、男性は思考タイプが多いことが報告されています。これは、文系に女性が多く、理系に男性が多いという事実とよく相関しています。
文理融合キャリア構築は難しいのか?
理系と文系では心理学的なタイプとして職業適性に差があることを解説してきましたが、文理融合キャリアは自らの意思で双方を統合しようとする試みです。特に、思考と感情は互いにトレードオフの関係性にあるため、2つの機能をバランスよく使いこなすことは意外と難しいとされています。それゆえ、文理融合キャリアは珍しく希少価値が高いとも言えるのです。
でも安心してください。個人差はありますが、トレーニングによって一定の文理融合レベルまでは確実にできます。例えば、文系学生または文系社会人(営業職)がプログラミングを習得してエンジニアに転身するという理系就職はかなりの高い確率で実現できるパターンです。論理的思考が非常の乏しいというタイプでなければ、ほぼ大丈夫です。
ちなみに、日本において今後5年くらいの間はエンジニアが間違いなく不足すると言われていますから、今なら文系人材にとって理系職種に転身する千載一遇のチャンスです(10年後では多分できないだろう🐙)。ただし、25歳を過ぎるとそのチャンスは激減していきますから、キャリアの若いうちに行動すべしです。
一方、技術職から営業職に転身する場合、慣れるまではかなりのストレスを伴うことがあります。技術職のプレーヤーは遅くても28歳くらいまでにマネージャーを経験して人事管理を経験するとそれが文系転職のクッションになります。
営業職と言ってもルート営業と新規開拓営業では求められる実務能力が異なりますし、ビジネスがBtoBなのかBtoCなのかによっても営業スキルは異なります。今は技術職でも近い将来にフリーランスとして独立や起業を考えているのであれば、営業経験があると成功確率は各段に上がります。
結論として、技術職から営業職への転身にはコツがあります。コツとは転身に至るまでの助走期間を1−2年に設定して、「人」✖️「データ重視」✖️「感情」に少しづつ慣れていくという戦略です(私の経験則🐙)。
一般に、技術職(理系職)からいきなりバリバリの営業職(文系職)への転身はあまりにも急激過ぎて、ほとんどの人はうまく順応することができません。
顧客サポート、顧客からの問合せ応対・クレーム応対などソフトランディングから始めるのも一つの策です。詳細は別の記事で紹介しますね🐙。
《研究開発職のプレーヤーから開発プロジェクトのマネージャーに昇進の事例》
研究開発職のプレーヤーから開発プロジェクトのマネージャーに昇進した場合はどうでしょうか? マネージャーは自ら研究開発することはなくチームの人材の管理サポートに仕事のウェイトがシフトします。部下はひとりひとり性格も違いますし、担当業務内容も異なりますから、それぞれ部下の状況を正確に把握しながらチーム全体をまとめなければなりません。
上述の営業職(文系職)の特性がかなり入り込んできますが、製品開発の技術的側面における問題解決の方向性もしっかりと管理しなければなりません。よって、マネージャー昇進は文理融合キャリア構築の登竜門とも言えるのです。キャリアとしての安定性や独自性という観点からすると、理系と文系の専門性(例:技術開発実務×営業実務)を掛け合わせた文理融合キャリアほどのサバイバル能力はありません。
一定の割合で、マネージャー昇進によるストレスで鬱になってしまう事例があります。あるいは、人事管理が苦手でプレーヤーとしての継続を望む技術者(マネージャーへの昇進拒否)も多くなっています。
このようなケースを避けるためには理系と文系の職種の質的差異(上述の①②③)を理解していることが必要なのですが、私が知る限りほとんどの技術者は認識不足です。
私は、昇進前に一定期間の文理融合シフトのトレーニングをすることを推奨しています。ところが、企業で実施されるマネージャー昇進の研修は1−3日程度ですから不十分なのです。ロジックではなく、生身で体感できる実務研修が必須なのです🐙。
わかりやすい例として、「野球などプロスポーツの現役選手を引退した直後に就任したチーム監督(コーチ経験なし)は勝てない!」という事実です。現役引退後に指導者(監督候補の場合)としての着実なキャリア構築を目指すのであれば、監督になる前にコーチ(現場指導者)やジェネラルマネージャー付き(裏方の管理者)のいずれかまたは両方をそれぞれ経験することが有効なトレーニングになります🐙。
私は、このような職種シフト前の順応トレーニングを ”キャリア・アクライメーション(職変適応)” と呼んでいます。
以上